ヨーガという生き方

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はじめに

私にとってヨーガとは、「生き方」であり、「人生」そのものである。
長い年月ヨーガを継続してきた人であれば、同じように答えるのではないだろうか。
十中八九そうではなかろうか。

「禅」はどうであろう。
座禅を組むことが、禅のすべてではなく、あくまでもその一部でしかない。
禅もまたヨーガと同じように、「生き方」といえるのではなかろうか。

アサナは生活の一部

私にとってアサナは入浴、食事、そして睡眠と同じように、日々の生活の一部である。
私自身特に潔癖ではないのだが、入浴をせずに床に就くことは考えられない。
これと同じようにアサナをしないと心身ともに居心地が悪い。
しかしながら、夕方過ぎの激しい後屈系アサナ実践は、夕方にカフェイン飲料を摂取したかのように目が冴え、寝付きが悪くなってしまうこともある。

「ヨーガが上手だね!」

「ヨーガが上手だね!」
この言葉の返答に困ってしまうことが多々ある。

おそらくアサナだけをヨーガと認識しているのかもしれない。

素直に「ありがとう」と言うものの、やはり疑問を持ってしまう。
なぜなら私にとってヨーガとは、生き方であり、生きてる証だからだ。
つまり私には「生き方が上手だね」と聞こえるのである。
このように解釈してしまう私には、どのような返答がベターであるのだろうか。

「私、体が硬いからヨーガは無理」

「私、体が硬いからヨーガは無理」
これも良く聞くフレーズだ。
おそらくこのように答える人のほとんどが、ヨーガを曲芸的で、へんてこなポーズをするものだと思いこんでいるのではないだろうか。
確かに曲芸的なポーズも多々存在するし、私自身もそれらのへんてこなポーズを行う。
しかしながら、体が硬いからヨーガが出来ないというのは間違っている。
では、あなたは体が硬いからストレッチが出来ないだろうか。
否、そんなことはないはずだ。
ヨーガもこれと同じである。
ヨーガへの先入観、そして曲芸的なポーズを連想し過ぎてしまうが為に、無理と答えてしまうのである。

ヨーガという生き方

ヨーガマットの上に坐し、呼吸を整え、感覚を制御する。

やがて心に静寂が訪れる。

それはまるで深い海へと沈んでいくかのように。

それが無我なのか、どうなのかは私には分からない。

ゆっくりと意識を戻し、呼吸と動作を連動させる。

動作は陰陽併せ持って成り立つ。

しかしながら、アサナ実践だけがヨーガではない。

目が覚めた時からヨーガは始まり、床に就くまでそれは続く。

さらに言えば、睡眠中もヨーガは続いている。

食事を頂くとき、食事の準備、後片付けもまた私にとってはヨーガの一部である。

このように私にとってヨーガとは、生き方であり、生きてる証である。

人生最後の呼吸をまでヨーガは続く。

最後に

江戸時代に入ってきた蘭方医学(西洋医学)が日本に根付き、長い年月が経った。

そして良くも悪くも物事と抜粋して考えてしまうようになってしまったのではないのかと思う。

例えば「心と体」、これらを切り離してケアをするのはナンセンスに思えてしまう。

如何であろう。

我々は物事をより包括的にとられる必要があるのではないであろうか。

ヨーガもまた然り。

呼吸を全く意識しないアサナは、ストレッチと何ら変わりがないし、禁戒、そして勧戒の実践がなければ、ヨーガはただのエクササイズに成り下がってしまう。

また呼吸はアサナ中だけ意識すればそれでいいのか。

否、それもまた違う。

アサナの実践はせいぜい1~2時間といったところ。

やはり日々の生活の中でも呼吸を意識することはより効果的である。

私はエクササイズを否定しているわけではない。

また人それぞれヨーガに求めているものが違うのだから致し方ないと承知している。

しかしながら、より多くの人に、ヨーガの本質を学び、より良い人生を築き送ってほしいと心から思っている。

ヨーガには人生を大きく変える力がある。

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