はじめに
現代は本当に便利な世の中である。
もちろんジェネレーションによって感じ方は大きく違うだろう。
便利なも代表のパソコン、タブレット、そしてスマホ。
これらがあればほとんどのことが出来てしまう。
もちろん全てではない。
最近では、特別なことをしない限りパソコンですら必要がないかと感じてしまうほど、スマホの進化は著しい。
現代に生きる私たちにとって、スマホはなくてはならないものになったのだ。
しかしながらここで立ち止まって考えてみたいと思う。
便利は善であり、不便は悪なのか?
便利こそが豊かさの象徴であり、不便は乏しさなのか?
便利と不便を善悪で比較するのもちょっと極端ではあるのだが、おそらくそのように考える人たちもいるであろう。
さて、世の中には便利グッズと呼ばれるものが多くある。
もちろん私の家にも存在するが、それらは出番も少なく、全く使用していないものもある。
なぜならそれらの便利グッズの殆どが何かに特化したアイテムであり、応用が利かないものが多いからだ。
例えばキッチンにあるであろうピーラー、そしてスライサー。
もちろん私のキッチンにも存在するのだが、ほとんど使用していない。
実際とても便利なのだが、狭いキッチンでこれらの便利グッズは時として邪魔で仕方がないものになる。
1Kルームのキッチンを想像してほしい。
まな板すらまともに置く場所がないのに、ピーラー、スライサー等の便利系キッチンウェアが横たわっていたら料理どこではない。
更には狭いシンクにキッチンウェアが溢れかえりどこから手を付けていいのやら、ほんとうに面倒この上ない。
このような諸事情で最近はもっぱら包丁のみで料理をしている。
基本は三徳包丁のみで料理をするのだが、お肉の塊は牛刀、果物はペティナイフというように若干使い分けている。
包丁一本で料理をすることが不便と感じるかどうかは人によって差があるだろう。
しかし私は一度も不便と感じたことはない。むしろ包丁さばきが格段に上がったと実感している。
便利なものが当たり前になり依存してしまうと、それらがないことに不便を感じ、ストレスになってしまう。
だがしかしないならないでどうにかなってしまうものだ。
このように若干不便と感じることが、人間の知恵と能力を高めることもある。
さて本テーマの丁寧な暮らしから若干話がそれてしまったのでそろそろ本題に移ろうと思う。
丁寧な暮らしとは
今から丁寧な暮らしについて考えてみましょう。
さて読者の皆様の暮らしは如何なものでしょうか?
その暮らしは丁寧といえるものでしょうか?
正直言って回答に困ってしまいますよね。
丁寧な暮らしの定義が定まっていないのですから、当たり前かもしれません。
では何をもって丁寧な暮らしと言うのでしょう。
ここからは私が考える丁寧な暮らしを紹介していきます。
丁寧な暮らし
- 日々できることをきっちとやる(何でも後回しにしない、掃除)
- 姿勢を正す(姿勢の悪さは心の弱さ)
- 食生活を見直す(食はその人の血となり肉となる、そして心を創る)
- 断捨離(所有しているものの管理)
- ものに命を吹き込む(道具はメンテナンスをして大切に扱う)
- 同時に多くのことをしない(ながら食事)
- 真剣に生きる(自分自身と向き合う時間をもつ、全身全霊で向き合える何かを見つける)
- ひとりの時間を大切にする(ひとりの時間が心身を癒やし、心を強くする)
まとめ
如何でしたでしょうか?
正直言って目新しいものはまったくなく、当たり前のことばかりかもしれませんね。
しかしながら現代に生きる私たちは、これらの当たり前のことを忘れ、心を無くし生きているように思うのです。
「心ここに在らざれば視れども見えず」ではないが、心と体は絶対に切り離してはいけないのです。
丁寧な暮らしとは、心と体を労り、癒やす、生活様式です。
紹介した丁寧な暮らしをすべて実践するのは難しいかもしれません。
今のあなた自身に必要なのものをピックアップして実践するのがいいでしょう。
また丁寧な暮らしを続けることで、心と体が研ぎ澄まされ、今まで感じなかったことが感じられるようになります。
これは特別な能力ではなく、本来備わっていた豊かな感性が丁寧な暮らしによって蘇ると言えるかもしれません。そして深い眠りについていた潜在能力が目覚めます。
まずは一歩、踏み出してみましょう。
あなたの人生を変えられるのは、あなた自身だけなのです。